2009年07月27日

高校で「学び直し」の試み

7月26日付の朝日新聞朝刊に、「高校で『学び直し』の試み」という記事がありました。

それによれば、「勉強についていけず、意欲を無くして足が遠のく」生徒に対する対策として、「中学校までの勉強を学び直し、基礎学力の定着を特色として打ち出す高校が増えている」とのことです。

こうした試みは、東京都では何かと行われるものの、他の道府県にはなかなか広まらないという状況があるようですが、今回は神奈川県と千葉県の例も紹介されていました。

授業の内容としては、漢字の部首や、英語の代名詞、3桁の掛け算といったものが例として挙げられていますが、各校が、生徒の学習状況に合わせた授業を行っているようです。

東京と神奈川の高校の校長先生によるコメントも紹介されていました。

「自分に合ったクラスがあれば、きちんと学校に来るようになる」
「やる気さえ生まれれば、一挙に伸びる可能性がある」

といった内容でしたが、実際のところ、学校生活の多くの時間を占める学習が理解できるか、楽しめるかは大きな問題だと思います。


全てが同じ条件ではありませんが、こうした高校の特徴として、以下のようなものがあるそうです。

選抜では意欲を重視し、学力検査は行わない。

きめ細かに指導するため、授業は30人以下の少人数制。

基礎学力のほかに、社会性、自信の獲得、コミュニケーション能力の向上、マナーの習得といった、社会に出て行った際必要だと考えられる能力を身に付けさせることを重視。

また、自分のペースで学ばせるために、テストは実施しないという学校もあるようです。


ただ、こうした学校の一部が成功することで人気が高まり、それ以外の学校に「難しい生徒」が集まるという流れが問題となっているそうです。

そのため、ノウハウの共有などによる全体の底上げが必要だとのこと。


また、基礎から学ぶ事は重要でも、最終的にどの程度の学力を獲得させるのか、という到達目標がどのように設定されているのかも気になりました。

実際の到達目標は、各自で異なってくると思います。

就職するのか、進学するのか、などの進路によっても、必要とされる学習内容や学力は違ってくるでしょう。

また、「高卒資格」の付与に関しては、学校により条件にかなりのばらつきがあると思います。

とはいえ、学校単位で考えれば、「卒業資格」が付与されるために習得すべき内容については、統一しなくてはならないでしょう。

この条件の差は、就職活動や受験の際、判断材料とされることもあると思います。

そんなわけで、学校が到達目標や卒業資格付与の条件をどのように定めているかについても、興味を持っています。

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2009年07月20日

情報収集能力の差による「格差」の拡大再生産について。

いよいよ夏休み。

ここのところ、塾や予備校などの広告が目立ちます。

広告内容は、とてもストレートなものや、雰囲気を重視したものから、面白いけれどそれで良いのだろうか、と心配してしてしまうものまで、多岐にわたります。


心配なんて余計なお世話でしょうが、広告の意図が気になり、とある塾の採用担当の方に質問したことがあります。

すると、その塾では広告に、授業の説明やイメージアップは求めていないとのこと。

それよりも、ひとまず印象に残り、何かの時に思い出してもらえることを目指しているのだそうです。

確かに、他の塾の広告に埋没しないという目標は、達成されていたように感じました。

この塾の広告戦略は当たっていたということでしょう。


しかしそうなると、実際の様子はどうして知れば良いのでしょうか。

いちいち体験しに行くわけにもいきませんから、結局は口コミなどに頼るのが比較的確かな方法ということになるのかもしれません。


こうなると、情報網の充実している人が圧倒的に有利です。

さらに、情報は情報を持っている人のもとに集まりやすい性質を持っているそうです。

ということは、情報量の格差はひたすら拡大再生産されていく運命にある、ということになりかねません。


実際のところ、日本が「格差社会」であるのかは判断しかねる部分です。

とはいえ、こうした情報の格差が、情報を得るのが難しい人の暮らしに影を落としているということは事実でしょう。

金銭的な格差などに比べるとささやかな問題かもしれません。

しかし、塾選び、学校選択などに際してどれだけの情報を手にできるか、といったことも、将来につながる無視できない問題ではないでしょうか。
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2009年07月01日

「不登校の増加」と、福祉的な問題を背景とした不登校について

「不登校の増加」と聞くと、その背後に心理的要因の増加を想像される方が多いのではないかと思います。

いじめをはじめとした学校生活における人間関係などをきっかけに、学校へ通うこと、教室へ入ることなどが困難になった子どもに対しては、無理に学校へ通わせようとするのではなく、子供の心境や体調、希望に十分配慮して、現状を肯定的に受け止めた上で、できる活動からはじめるのが望ましいと考えられています。

そのため、スクールカウンセラーの配置といった対応が進められてきました。


しかし統計上、不登校児童生徒数の増加傾向に歯止めがかかっているとはいいがたい状況です。

この数値をそのまま鵜呑みにすることはできませんが、それでも不登校の子供が増加しているのだとすれば、これまでの対応は必ずしも不登校の実態に即していなかったのではないか。

最近そういった指摘を耳にすることがあります。


これまで対応が強化されてきた心理的要因を背景とした不登校ではなく、福祉的な問題により、子供が学校へ通わない、通えないといった状況による不登校がかなりの数存在するのではないかと考えられ始めているようです。

こうした事態の背景には、保護者の離婚、再婚や、ネグレクトを初めとする虐待などがあるそうです。
こういった事情だと、これまでの不登校対策では拾い上げることが困難です。

また、学校へ行かないという選択が子供のためになるとは考えられない場合が多く、時間をかけて様子を見る、本人の気持ちを尊重する、といった悠長な対応をしている場合ではない、という状況も多く存在するようです。

こうした子供の場合、朝教員や友人が迎えに行く、生活習慣の改善を促す、といったより積極的な介入が大きな効果をあげるでしょう。


「不登校」という言葉が、実態と少しずれた部分で一人歩きをしてしまっている状況が存在するのかもしれません。


とはいえ、やはり不登校のきっかけや背景は千差万別です。

もちろん類型化はある程度可能で、また「最近の傾向」などの分析も可能でしょう。

こうした指標を参考に対応を進めることは、特に大規模な支援事業などに関しては非常に大切なのだと思います。

しかし、個別の事例に対処する際には、そういった情報に現実を当てはめようとするのではなく、似た事例や使えそうなアドバイスは使い、違う部分については試行錯誤する、という姿勢は忘れてはいけないのだと思います。

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2009年06月29日

家族が子供の異変に気づける環境について

前回は、家族を初めとする周囲の人が子供の異変に気付くことが大切ではないかという話をしました。

今回は、どうしたら家族(これ以降はただ「家族」「親」などと書きますが、生活を共にするなどの身近な人という意味で、戸籍、血縁上の関係に限った話ではありません)がそうした異変をキャッチできるかについて。


そのために必要なのは、子どもを縛るより、むしろ「引き出すこと」ではないかと思います。

ここで言う「引き出す」には、二つの意味があります。


まず、子供を「ケータイの世界」から引き出すこと。

家に帰ると自室にこもり、あとは何をしているかわからない、といった状況では、子供が携帯電話によるトラブルに巻き込まれる危険性は高くなります。

そこで、携帯電話の利用をリビングに限るといったルールを設定するのも一つの手段でしょう。

しかしもし、子供がリビングで過ごす時間が長く、また家族の会話が多ければ、携帯電話を使用する時間は必然的に抑えられるでしょう。

この際、子供を携帯電話から遠ざけるために無理矢理テーブルについて話をさせようといったやり方は逆効果だろうと思います。

家族のコミュニケーションの活性化については「リビングで暮らすことについて」にも書きましたが、たとえばリビングを快適な空間にすることは意外と重要なのではないかと思います。

また、家庭での生活が充実していれば、布団に入ってからいつまでも携帯電話をいじっているという状況も起きにくくなるだろうと思います。


次に、子供の中にある思いや悩みを「引き出す」こと。

例えいじめがインターネット上など、端から見えにくい世界で進行していたとしても、子供がそれを人に話せるなら、問題は表面化します。

先ほどの延長線上にある話ですが、家族が子供の言葉を肯定的に受け止められれば、何らかのトラブルに巻き込まれたときにも、家族に打ち明けやすくなるのではないでしょうか。

子供が家庭で家族とのコミュニケーションを積極的に取るようになれば、親が子供の携帯電話を覗き見たり、様々な利用制限を課さなくても、子供が一人で問題を抱え込むリスクは下がるだろうと思います。

また、人に打ち明けることのできない悩みを抱えたときにも、普段から接している時間が長ければ、家族がその異変に気付く可能性が高まるでしょう。


「会話」や「コミュニケーション」の重要性について語るのは簡単ですが、実際にはなかなか難しい場合も多いと思います。

また、うちは会話があるから大丈夫、という過信は危険かもしれません。

しかし、ルールでがんじがらめにすることで安全を確保しようとすれば、子供はいかにそのルールをすり抜けるか、親の目を盗むかといったことを考えるようになってしまうのではないでしょうか。

やはり、利用時間や限度額に関する最低限のルールと、家族との繋がりが、携帯電話やインターネットに関連する危険から子供を守ることにつながるように思います。

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2009年06月27日

子供に携帯電話を持たせることの危険性について

いじめや依存症を心配して、いかに子供を携帯電話から遠ざけるかについて一生懸命考える人がいます。

しかし一方で、緊急時に連絡がとれなくては不安だから持たせざるを得ないといった状況も存在します。

そのため、このジレンマに悩まされる大人たちは少なくないようです。

しかし、そこで出てくる解決策が、携帯電話の利用制限に偏っているように感じることがあります。

たとえば、「食事中はメールをしません」「決められたサイト以外は見ません」「夜〇時以降は、携帯電話を使いません」といった形での約束です。


しかし、いかに利用を制限するかではなく、いかに安全に使わせるかを考えた方が、実際に危険を減らす効果は高いのではないかと思います。

そのためには、インターネットの特徴や、それによる危険性についてもっと詳しく知らせることが必要ではないでしょうか。


私自身が考える、インターネット利用の際特に注意すべき特徴は、以下のようなものです。

・即時性
「投稿」「送信」といったボタンをクリックした瞬間、情報は発信されてしまう。そのため、一時の感情や誤操作でトラブルの原因となるような情報を発信してしまう危険性が高い。

・不可逆性
一度発信してしまった情報は、すぐ多くの人の目に触れ、データの複製も容易であるため、たとえ後から削除しても、なかったことにはできない。

・匿名性
情報の発信者も受信者も、自分の存在について人に知られることなく情報の発信、受信が可能である(と考えている)。そのため、自制心が利かなくなったり攻撃的になりやすい。

・公開性
自分の発信した情報が誰の目に触れるか分からない。とても個人的な情報や心情が、全く関係ない人や、逆に非常に身近な人にも知られる可能性がある。


携帯電話は危険だから利用を減らしなさい、というよりは、こうした特徴と、日記の投稿やメールの送信前には一度読み返す、読まれたら困ると感じる人がいるような内容は書き込まないといった点に関する具体的な注意が必要なのではないかと思います。

また、いじめなどのトラブルは、インターネット上で起こるから怖いということではないと思います。

もちろん、昔よりより巧妙に発見されにくい形になっていることは間違いないのでしょう。

しかし、 家族(など)がそれを発見したり、本人がSOSを発信することができるなら、問題は解決が可能なのではないかと思います。

家族が子供の異変に気づける環境については、また次回。

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2009年05月04日

発達阻害と発達障害について

最近、発達障害という言葉を聞く機会がずいぶん多くなったように思います。

発達障害は、「発達障害者支援法」によって、

 この法律において「発達障害」とは、自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるものをいう。
と定められています。

「脳機能の障害」というのは、多くの場合先天的な障害と考えられるのではないかと思います。

しかし、こうした障害が知られるにつれ、似たような問題を抱えていても、それが先天的な障害によるものではない子どもの存在が見過ごされるという事態もおきているようです。

例えば、家庭での虐待などによって発達が阻害されている子どもに対して、「発達障害」というレッテルが貼られ、問題の原因究明がなされず放置されてしまう、といった事態は、発達障害に対する認知の広まりの副作用と言えるかもしれません。

また、発達障害についても、先天的なものだから仕方がないと、適切な対応をせず、放置してしまう例もあるようです。

しかし、「発達障害」というレッテルは、子どもが抱える問題を放置するためではなく、それぞれに適した対応を取りやすくするためのものです。

また、いくらレッテルを貼ってみても、各自の性質、性格の全てがそうした枠の中に収まるわけでもありません。

障害として名前がつこうが、マニュアルができようが、情報は情報でしかありません。

もちろん、正しい情報を知ることは非常に重要です。

しかし結局のところ、子どもと向き合うときには、「その子自身を注意深く見ること」が必要とされるのではないかと思います。

ペン関連リンク
発達障害情報センター
発達障害教育情報センター
厚生労働省:政策レポート(発達障害の理解のために)
posted by カンナ at 05:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 学校教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月28日

平成21年度 第1回高等学校卒業程度認定試験出願について

気づけば、高認の申し込み受け付けが再来月に迫っています。

5月なんてまだまだ先、と思っているうちに過ぎてしまうのが常なので、日程と書類など最低限の情報だけ、まとめておきます。

詳細については、文部科学省のwebサイトで確認してください。

冊子を取りにいったり、書類を集めたり、証明写真を撮ったり、意外としなくてはいけないことがあるので、早めに準備されることをお薦めします。

私はいつもぎりぎりまでぼんやりしていてあわてるタイプなので。。。


なお、試験対策については、高認リンク集を参考にしてみてください。

最近は予備校や参考書も色々選べるようなので、先ずはネットでリサーチして、予備校を見学してみたり、参考書を購入してみることをお薦めします。

いくら「これ一冊で高認対策はばっちり!」なんていわれても、その内容が良く分からなければ意味がありませんから、予備校、参考書選びの際には、「高認に向いている」かどうかより、「自分に向いている」かどうかを第一に考えてみてください。

私自身がテキストを選ぶ際のポイントもご参考まで。



高等学校卒業程度認定試験

・平成21年度第1回試験日程
冊子配布開始 平成21年4月13日(月)
出願期間    平成21年5月8日(金)から5月20日(水)(同日消印有効)
試験日      平成21年8月11日(火)、12日(水)
結果通知    平成21年9月4日(金)発送予定

・受験料
7〜9科目受験の場合 8,500円
4〜6科目受験の場合 6,500円
1〜3科目受験の場合 4,500円

・必要書類
受験願書・履歴書
受験料(収入印紙)
住民票1通(又は戸籍抄本)もしくは科目合格通知書(一部科目合格者のみ)
写真(4cm×3cm)2枚(同じもの)
試験科目の一部免除に必要な書類(試験科目の免除を申請する者のみ)
封筒A(出願用の封筒)
特別措置申請書(希望者のみ)

※詳細は、必ず文部科学省の配布する冊子でご確認ください

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2009年01月21日

「宗教教育」を危険視することの危険性についてA

一方、宗教を信じる心を育てる、いわゆる「宗派教育」については、まだ、議論すべき点が多いように感じます。

我々は、生まれたときから自らの宗教をはっきりと持っているわけではありません。

そのため、世界の人々が何を信じ、どのように生きているかを知ることこそが、私たち自身が、何を信じ、どのように生きるかを考えることにもつながるでしょう。

知識として宗教を学ぶうちに、何らかの信仰心が芽生えることもあるかもしれません。

そう考えると、「知識教育」も、ただ知識を教えるだけ、というのは不可能です。

だからこそ、特定の宗教に対し過度に批判的な内容や、肯定的な内容ばかりを教え、「宗教的知識教育」の名の下で「宗派教育」を行わないように、十分配慮が必要でしょう。

ちなみに、こうした事態の一番の問題は、「宗派教育」が行われることではなく、宗派教育が行われているということを、教わる側が理解していない点だろうと思います。


さて、ここまで宗教教育についての私の意識について書いてきましたが、そもそも「宗教」とはなにか、という点について、ここまで触れてきませんでした。宗教の定義については、過去様々な形で試みられているようです。

しかし、結局統一見解というべきものは存在しません。

そこで、私自身も定義を試みてみました。
宗教とは、人々の(少なくとも信者の)平和や幸せに資するための、ルールやシステム、思想の体系である。ただし、おしえの中で人々に幸せが訪れるとされる時期は様々であり、生きているうちとは限らない。また、他者に危害を加えるものについては慎重に検討される必要がある。
但し書きの方が長くなってしまいましたが、私はこのように捉えています。

ただし、宗教というのは、非合理性を内包しているものだと思います。

というよりむしろ、合理的に説明がつかないことについて説明し、道を示すことが、宗教のメインテーマだと考えられます。

そのため、理想的には上記のような定義が可能でも、結局人々を幸せにしたいのか不幸にしたいのかわからない宗教もあるでしょう。

しかし、そうした点も含め、知ろうとすることが第一歩、などと自分を慰めつつ、本日は終わりにしたいと思います。終わりにしたいと思うのですが、
posted by カンナ at 04:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 学校教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月20日

「宗教教育」を危険視することの危険性について@

突然ですが、「宗教教育」と聞くと、どうもよろしくない印象を持たれる方は多いように感じます。

しかし、「宗教」という言葉に対して、国家神道が戦争を引き起こしたとか、カルトにはまる若者が問題を起すといったことが先ず思い浮かぶとすれば、そういった人たちに対してこそ、「宗教教育」は必要なのではないかと思います。

特定の宗派に対する信仰心を持たせることを促すような教育は、公立校で行うことが禁じられています。

また、私自身、積極的にこうした教育が行われるべきだとは考えていません。

私が今回必要性を指摘したい「宗教教育」とは、いわば「宗教的知識教育」のことです。

世界の人々が、何を信じ、どのように生きているかを知ることは、様々な考えを持つ人々と共に暮らすためには欠かせないと思うのです。


多くの日本人は、戦争に対し、かなり強く否定的な感情を抱いていると思います。

私自身、多くの人が(特に、戦争の背後にある利害との関わりが薄い人の方が)犠牲になり、住まい、家族、健康、命すら失う戦争に対し、肯定すべき点は何もないと思っています。

また、肯定的な発言をすべきでないとも思っています。

たとえそれが誰かに利益をもたらすとしても、正当な攻撃の理由があるとされても、人を傷つける理由にはなりえません。

(恐らくは、)日本国民の多くがこうした気持ちを持っているという状況は、日本の戦争教育の成果なのかもしれません。


しかし、宗教的信念を持って暮らす人々について無知であることは、そうした人々に対する不用意な発言、謝った対応を生み、私たちが「嫌悪」している諍いを引き起こすことも十分あり得ると思うのです。

私が、宗教を危険視したり、宗教教育(特に知識教育)を疎かにすることが危険だと考えるのは、こうした理由からです。
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2009年01月12日

「日本フリースクール大会」について

昨日(11日)、東京都渋谷区で「日本フリースクール大会」が開催されたそうです(本日12日は関係者による分科会等が行われるようです)。

そこで本日は、フリースクールが抱える問題を少しまとめてみました。


・フリースクールが抱えるジレンマ

 基本的には、公的な支援がない。

 必要経費が高く、利用者にとっても、運営者やスタッフにとっても大きな負担になっている。

 費用の負担軽減のためには、公的な支援が必要。

しかし、

 公的な支援を受けるためには、学校に近づかなくてはならないのでは。

でも、

 フリースクールは、学校教育に対するアンチテーゼを含んでいる場合も。

 フリースクールが、公的支援の対象として認められ、且つ「フリー」であり続ける道とは?


現在、フリースクールには様々な形があります。

公的な支援を受けようと思えば、ある程度活動内容が規制されるのはやむを得ないでしょう。

「教育機関」として支援を受けようとするなら、その規制はより厳しくなるのではないかと思います。

そのため、公的支援を受けるために有る程度の犠牲が必要であるとなれば、それを望まない施設もあるでしょう。

しかし、選択肢として、公的な支援を受ける道が用意されることは、多くの関係者に望まれていることなのだと思います。

ペン関連リンク
NHKニュース「フリースクールに公的支援を」http://www3.nhk.or.jp/news/t10013492061000.html
産経ニュース「フリースクール初の全国大会」http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/tokyo/090111/tky0901112046007-n1.htm
日本共産党「フリースクール 役割をどう考える?」http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2004-12-29/1229faq.html

posted by カンナ at 05:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 不登校 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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